2008年03月04日

研磨に関して

研磨に関して
日本刀を研磨するのは包丁を研磨したり鉋を研磨するのとはかなり異なります。
切れ味を良くする事も重要ですが現在ではより美しく研磨する事がより重要であると考えます。
肉置きを大切に刀剣の持つ美しい部分を引き出して研磨を行うわけですから長年の修行や工夫が必要となってきます。
しかしながら元来日本刀は使用される武器ですから中には長年の使用や条件の悪さで研ぎ減る刀も多く、研磨がなされない場合朽ち果てる日本刀も数多いというのが現状です。

本来文部省が管理しなければならなかった赤羽刀は見るも無惨な状態で民間に払い下げられました。 素材が鉄で出来ているわけですから油を塗るなどして厳重に管理を怠らなければあのような最悪な状態にはならなかったでしょう。


さて研ぎ師さんは日本刀の研磨は素人が行うべきではないと言われますが、脇差の状態の悪い錆刀を研磨すると数万円の研磨代謹を支払わなければなりません。


研磨は

荒砥:錆びた部分をこの砥石で取り去る。
伊予砥:荒砥の研いだ研目を取り去る。
備水砥:伊予砥研いだ研目を取り去る。
改正砥:備水砥研目を取り去る。
名倉砥:改正砥研目を取り去る。
細名倉:名倉砥研目を取り去る。
合わせ砥刃引砥:細名倉研目を取り去る。白く研磨される。
合わせ砥地引砥:かなり硬い砥石で上手く引くと黒みを帯びて地鉄の肌や地景、地沸が引き出される。
地艶砥:地艶砥 葉書の厚さより薄くし親指の背で砕き親指で研磨すると更に地鉄の肌や景色が引き出される。
拭い:磁鉄鉱、金肌、孔雀石、等を微細に砕き丁地油で溶き青梅綿で濾して刀身に塗り強く塗り込んで行く。
全体に黒い色合いとなる。
刃取:化粧を行う為、極めて薄い合わせ砥刃引砥で刃紋の部分を覆い研磨する事で美観を添える。
刃の部分が白くなるので黒い部分は増々黒く見える。
磨き:へらで刀身の鎬地と棟を磨く。
横手筋切:きりっと縦に線を入れる。
帽子なるめ:白く刃引砥で研ぎ上げる。

概ねこの様な工程で日本刀は研磨されて完成されます。
したがって研磨によって刀の良し悪しが引き出されてきますのでお手持ちの刀を研磨される時は十分に検討され、価格、期間、出来上がりの状態を研磨に出される前に研ぎ師さん及び中間に立つ業者と相談する必要があります。

研磨してもかなり疲れが見える場合は安価に研磨される研ぎ師さんに依頼すると良いでしょう。
素人であっても前もって良く勉強をし、丁寧に研磨を行えば結構見違えるものなのです。

誤解のないようにお話しますが研磨代金は研ぎ師さんによって大きく異なります。
恐らく名品ばかりを研磨されておられる研ぎ師さんでしたら脇差の瑕のある品物でしたら断られるでしょう。

このような刀も400年500年を経過し過去大切に現代に至る迄、数多くの人々によって保有されてきたのです。
是非研磨をしたいと考えても1万円位では誰も研磨されないでしょう。
さすれば研磨を自分なりに勉強され一生懸命研磨されればこの刀はその先も誰かによって保有されると考えるのです。

1万円程の無銘脇差に高額な研磨代を研磨された後に請求されるなんてことがないよう良く考えて研磨をおこなうかどうかを前もって決めて下さい。


日本刀は類稀な武器です。 製作する段階で茎(なかご)に銘を入れ、研磨を行い、拵をその刀に合わせて製作します。
地金と刃紋を鑑賞出来る迄、徹底的に十分研磨がなされ、武士はそれを大切に保有し続けその刀を次の世代へ更に次の世代へと引き継いでいきます。 
全ての侍が同じ感覚で大切に錆びさせない様に十分注意を払い続けていくのは何故なのでしょうか。 私は武士としての誇りがそこに込められているのではないかと考えます。 

元々鉄は錆びやすく朽ちやすい金属です。世界には数多くの刀剣が製作されてきました。しかしながら刀剣の茎に銘を入れたり年期を入れたり、また十分鑑賞に耐える刀剣を製作したかとなると恐らく皆無に近いのではないでしょうか。

私たち日本人はこの事実に目を向けて、祖先が残してくれた誇るべき日本人の武士としての魂を大切に保管して次の世代へと引き続けていきたいと考えます。

日本刀は銃砲刀としての法律で縛られておりますので世間一般から嫌な目で見られております。
そのため多くの日本人から冷たい目で見られ続けてきました。
無登録の日本刀を保持すれば銃刀法で罰則があります。

このような中で海外の日本刀を収集する外国人が多くなってきており、数多くの日本刀や武具、小道具等が海外へと流出されております。 
かつて浮世絵が、次に根付が、蒔絵が海外に流出され現在では若者が勉強しようとしても海外の博物館や大学で学ばなければならない状況なのです。 
今後10年位で数多くの日本刀や武具が流出してゆく事でしょう。
これを差しとめる事は不可能です。 海外の収集家はかなり真面目に侍文化を学び傾倒しており、大切に愛蔵しております。
おそらく日本人以上に、、、


日本刀を愛蔵される方々がご自身のお子様に誇りを持って日本刀についてご説明されるともっと世間一般の評価は高くなるでしょう。
例えば:家には日本刀がある。 君は日本人としての誇りを持たなければならない。 15歳で成人となり、人としてやって良い事、悪い事のけじめはしっかりもって欲しい。 弱い者虐めや女性を虐めたり、又弱い者を多人数で虐めるなど卑怯な行為は侍として絶対に行わず、優しさをもって困った人物には手を差し伸べて欲しいと幼稚園、小学生からいい続けたならば、きっと礼儀正しい若者に成長すると私は考えるのです。
又もし虐めを行った時、大人が叱った時にきっと反省するに違いありません。 今の多くの若者は悪事を働き、大人が怒ったとしても怒られた理由が分からず神妙な面持ちで当面あやまった振りをして、その場が収まれば再び虐めが蔓延るのです。


色々な理由はあると思いますが是非日本人として日本刀を大切に保有して頂きたいのです。かけがえのない文化財ですから。
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2007年12月21日

老人大国

老人大国
日本は老人の多い(私を含めて)国となりました。
現在厚生年金、国民年金は大変な状況となっておりますが老人の多くが公務員や企業に
勤務し退職した後に年金で優雅にすごしておられる様です。 
ホテルで老人が食事を楽しみ、海外旅行に行っておられるのを散見されます。子供との繋がりが希薄となり老人同士楽しく過ごしたいと欲求も深まり、残された人生を楽しく愉快に過ごしたいと生活の思考方法も異なってきました。
世界でもっとも長寿国となり、今や老人パワーの力もたいしたものです。
先日もある病院であたふたと老人の男女が訪れ女性の喉に異物が詰まったとの事で調べた
ところ、入歯が一本出てきました。 その女性の歯を調べた所欠けた部分はなかったそうです。仲の良いことはいいことです。

さて先日当社にやはり80歳近くの一人住まいのお客様がお見えになりました。
その方は都内の一等地にかなり広い土地を保有されており、草木で覆われた場所には巨大なビルが建つと考えられる為、不動産屋さんが虎屋の羊羹や有名なケーキを持参してその不動産を売って欲しいと日参するそうです。売ってしまえばそれでおしまいだからそのままにしているんだと話されておりました。
特に不動産屋さんをからかうと面白いですよ

お客様:最近は周りを見渡すと面白い事がおおいですよ。

私:なにが面白いのですか。

お客様:老人がそろそろ死を迎える段階になると子供たちがいやに親切になり「おじいちゃん温泉に行きましょう。」とか「病院に連れていってあげましょう。」とか誕生日祝いをしてくれるとか親切な行為にとぼけて目を薄め喜んでいる振りをするんですよ。
ある老人の話ですがね、炬燵に入り眠った振りをしていると子供たちは争っている訳よ。
「お父さんが死んだら家は私が貰う。」とか「土地は売却して50%は私が貰う。」とか「銀行には何千万円預金がある。」とか話が聞こえてくる訳よ。 全く厭になるね。 こんな子供たちになんで残さなければならないのかと考え、全ての遺産を使いきろうと考えている昨今です。

私:(ため息)


確かに日本人の多くの老人は家や土地を保有し、貯金もある程度保有している訳ですから結構な資産をもっており、それを狙って子供たちが騒ぐのも無理からぬ話かもしれません。
しかし一方老獪なる老人は死を直前に死に慾というのもあるらしいですよ!
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2007年09月28日

侍としての誇りとは

アメリカ サンフランシスコ 刀剣ショーの会場から
8月16日から8月20日まで当地サンフランシスコにおいて刀ショーが開催されました。
全米から数多くの愛刀や業者が集まり、150店舗がホテルの会場で販売するのですから期待が高まってまいります。
アメリカのこれら刀剣ショーは多くの人々が自由に参加できるのですから遊び感覚で集まり、自分の品物をテーブルに並べて仲良く話し、食べたり飲んだりと交流を深めております。
最近の状況は米国国内での良質な日本刀が少なくなってきた事と愛刀家が徐々に増えてきている為、良質品の不足が顕著となり、日本での購入が増えてきているため会場のもその影響を受け、何となく日本から輸出された品物と思われる品物が会場に多くなってきている感じを受けてます。
今後はこのような傾向が進み、外国人が良質な日本刀や小道具を日本国内で購入すると思います。

一方、日本国内は日本刀が銃刀法で管理されている為に、国民からあまり理解が得られず、極めて残念ではありますが、今後日本刀の海外流出は続くのは間違いありません。その事実に気がついた時はすでに遅しで、日本の庶民文化であった版画や根付と同様な道を辿るに違いありません。過去日本人は版画という文化を築き上げましたが、数多くの作品がヨーロッパ、米国へと膨大な数が流出しました。根付などは現代の若い人々は意味すら分らないという按配です。若い人々がこれら日本の文化を再認識し勉強しようと考える時海外へ行き、品物に接触し学ばなければならない状況となります。
今後日本刀や鎧兜、小道具は確実に海外流出が行われるのは間違いありません。
今回のサンフランシスコでの日本刀ショーは150店舗が参加して行われましたが昨今の米国での住宅販売の過剰な融資で株式市場の暴落もあってか高額な刀剣には慎重でやや活気に乏しい感じを受けました。
この事は日本で行われる刀剣ショーを意識しており大挙外国人が日本に訪れ良品を購入してゆく事になるでしょう。
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2007年09月01日

丙子椒林剣

平成19年9月1日
日本刀の祖先は大陸から蕨手や無反りの長刀が入ってきましたが恐らく研磨されていない状態か簡単に切れる為として軽く研磨が施されていたと私は考えるのです。
著名は丙子椒林剣は学者の多くは海外から伝えられたという学説がありますがそう簡単に断定出来るとは考えられません。以前国宝展で私はこれらの刀剣をじっくりと見る事が出来ました。
特に丙子椒林剣の地鉄の美しさは小板目が実に良く詰んで微塵の地沸が付き細直刃の品格の良さは無類で製作段階において技術の結晶が集中され出来上がったのです。
中国では研磨技術は当時それほど必要無かったと考えるのが自然で微細な部分迄配慮しなかったと思います。
したがって大胆に推論すれば丙子椒林剣は日本国内で製作されたと思われるのです。刀身に彫られた文字は
中国で研磨技術が発展しなかった理由は戦闘方法が全く異なるからといえます。
切れ味時さえ良ければ錆びていても良く何万人という兵士が戦う訳ですから研磨する必要はなくそれぞれが積み上げられた刀剣をもって戦いに出たのです。
日本は狭い国土で意外と地域社会が明確に存在しあまりそれぞれが交流されなかったと思います。
その為刀剣はそれぞれの地域社会で独特な製造方法で製作されその特徴はかなり壊れたとはいえ現在にも伝播されております。
例えば九州は九州の特徴を備えた刀剣が製作され5家伝と言われる備前伝、大和伝、美濃伝、相州伝、山城伝が大まかに後世の人々によって区枠されております。
刀の茎には製作者が祈りながら一心不乱に刀を製作し出来の良い刀に銘を刻み研磨された刀にそれぞれ拵を製作し小道具は華美ではなく品位のある図柄が入れられ注文者の貴族に渡されました。
貴族から武家社会に移行してもその習慣は継承され更に侍文化の中では厳しく日本刀を保有する者達の礼儀作法が確立していたのです。士農工商の中で侍だけが刀の保有を許され侍としての誇り、象徴となったのです。現在日本には第二次世界大戦で敗北したのも関わらず数多くの日本刀が残されている大きな原因は侍が日本刀を武士の象徴として製作された当時から錆びさせず次の世代へ手渡していったからなのです。
日本刀は大変脆弱な面を持ち合わせております。戦えば振りかざされた刀を受けただけで大きく刃こぼれが生じ使い物にならなくなると筈です。考えられない程に研磨がなされ地鉄の鍛えが判るように刃紋の働きが判るように更に鎬筋や小鎬を綺麗にそりを付ける方法は未だ世界の武器にはありません。
錆びさせず大切に保管を続けて現在の数多くの刀剣が残された私たち日本人の誇りがあるのです。
次に続く
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2007年08月19日

日本刀が出来るまで

今後積極的にブログを書いていきたいと思います。
平成19年 8月 19日
あくまで私見ですので異論、反論、オブジェクションとあると思いますが肩肘張らず目くじら立てず寛大なる暖かな目で苦笑しつつ読んで頂ければ幸いです。
文章はあちらこちらへ脱線しますが宜しくご了承下さい。

まず日本刀が出来るまでにつきまして記載したいと思います。

世界の4大文明はエジプトのナイル川流域、ペルシャのチグリスユーフラテス川流域、インドのインダス川流域、中国の黄河流域と小学校時代に勉強したことがあります。 長い期間青銅器文明を経て四大文明発祥の地で偶然か故意かはわかりませんが鉄が製作されました。
鉄は青銅器と異なり強度の面で全くことなる製品でした。 更に熱した鉄を水に入れると考えられない強度をもった鋼が出来ることが発見され野火の如くそれらの知識は世界へと流出されていきました。
鉄の文化は武器に車輪に農機具に更に船舶、建築物に計り知れない強度や生産性を上げる事が可能となり都市の発展の大きく貢献する事となりました。
特に刀剣等の武具には即座に影響が顕著となり青銅器文明を駆逐する事となりました。
歴史上の中で最も画期的な出来事といえます。特に刀剣によって自ら守り又他を征服する事で自ら巨大な国を保持又は作り上げてゆく事は極めて重要な事であり切磋琢磨研究されたに違いありません。
青銅器ばかりでなく鉄器の文化は中国、朝鮮を経て日本に伝わりました。 日本の遺跡には数多くの刀剣が発見されます。 特に蕨手、古剣がその代表でありますがその後国内で改良され日本刀が日本独自に思考として文化として発展して行く事となります。 中国から伝えられた刀剣は恐らく研磨されていない刀剣であったと考えられます。
中国、朝鮮、日本におきましても刀剣は極めて珍重されたのに違いがありません。
貢物として彼らは刀剣を宝石で飾りぬき金銀、真珠、ダイヤ、ルビー、サファイア等ありとあらゆる宝石で刀剣の拵えを飾り立て王様に貢いだのに違いがありません。  貢がれた品物を見ながらその豪華な拵えに驚き感激の笑みを浮かべやがて奥歯の金歯が見える位に満面の笑顔を浮かべたに違いありません。
日本に伝えられた刀剣は当時大陸と同様に宝石を飾り立てようと考えたと思われますが国内では金銀、勾玉位しか宝石と呼ばれる様な品物は無く自然刀剣と研磨する事でおおよう王様を喜ばさなければならなかったのかも知れません。 自然多くの刀剣製作者は発注者の要望を受け出来るだけ瑕のない地金の良い品物に神経を集中し刀剣をより素晴らしく研磨する方法が研究され製作されたと考えるのです。
日本には宝石は当時考えられない程高価で見ることすらなかったと考えられます。
幸い研磨に必要な砥石は京都を中心としてふんだんにあり研磨技術が鍛えられ多くの貴族により刀そのものの出来、鑑定眼が養われていったに違いがありません。又日本は国土が狭く同一の思考が伝播し全ての貴族社会の中で日本刀の価値観が出来上がったと考えます。

次回に続く。
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2006年11月20日

苛めの問題に関して

苛めの問題に関して。

昨今苛めによる大変悲しむべき事件が多発し、
子供達が厳しい環境にされれている実態に深刻な衝撃を禁じ得ません。
理由と解決策について考えてみたいと思います。
社会や学校そして生活する環境が大きく変貌をきたしている状況を
把握しなければなりません。

1:子供達が自然との係りあいが極めて希薄となり
私達が子供時代に近所の川でザリガニや小魚を
捕って遊んだ子供同士の遊びがなくなりゲームや塾通いの生活が主体となっている。

2:両親は共働きとなり子供達との接点がすくなく
充分な愛情を注ぐ事が出来なくなり目が行き届かなくなってきている。

3:学校では先生方の資質の問題が沸き起っている。
私達が卒業する際歌われたあの歌
仰げば尊とし我師の恩…………..と歌われた先生方の姿に
歌詞を吟味され現在の先生方に自信を持って
自身がそれに値するのか自問自答して頂きたい。
私は66歳になりますが当時東中野にあった
塔の山小学校に在学中の先生であられた国元泰春先生が
私達の担任でした。勉強したというより冬は
雪合戦をしたり楽しく遊んだという印象が強かった
のですが正に仰げば尊とし我師の恩と今でも
懐かしく思い出される唯一の先生でした。
子供達を分け隔てなく一杯の愛情で私達子供を包んで頂きました。

4:文部省が言うゆとり教育は実はゆとりを無くし
きゅうきゅうとした状況を作り出し受験戦争へと駆り出している。
残念なのはたとえ有名大学を卒業しても使い物にならない
学識しかない。又感性を養う教育を省いている感じがいたします。
例えば習字の時間(現在はあるかどうか不明ですが)
墨汁を使用して綺麗な半紙に多量に文字を書かせる方法が採られている。
一方私達の子供時代は墨を擦り適度な色合いにしてから
筆に染み込ませまず新聞紙に文字を書かせ最後に
綺麗な半紙に清書を行う方法が採られてきました
綺麗な半紙に向かう時胸の高まりが聞こえるような緊張感を感じたものです。
すなわち文部省を含め私達は物を大切にする極めて
重要な教育の原点を忘れてきてしまっているのではないでしょうか。

解決策

1:子供達には保育園から良いことと悪い事のけじめを
しっかりと教え教育の徹底を図る必要があります。
すなわち強い者が弱い者に対してましてや数人で
弱い者を痛めつける事は卑怯者のする事であり人間の腐った者、
唾棄すべき事であり最低の人間で後ろ指を指される人間の屑である
と常に言い続けるならば自然のこの事が徹底されると思う。
真に人生にとって大切な事は困った者に対して手を差し伸べる
勇気が最も大切であると常に言い続けていかなければならないと考えます。

2:日本は戦後考えられない経済成長を遂げましたが
私達日本人は根無し草の如くで日本人としての誇りや
自身が欠如しております。戦中日本人は戦争で硫黄島玉砕、
サイパン玉砕特攻隊で敵船舶に体当たりを決行し
全日本人が玉砕を覚悟しましたがマッカーサーが
厚木の基地に降り立った時占領軍が極度の緊張と
多大なる犠牲を覚悟したといわれております。
しかし占領と共に日本人は態度を豹変し昨日の敵は
真の友人として180度変わってしまったのです。
この変わり身の早さは驚くべき事で米国という
ご主人様に忠実に仕える家来となってしまったのです。
それと同時に日本人は誇りも自信も喪失したと考えるのです。

3:私は日本には武士道があり西欧には騎士道があります。
当然武士道には実際はかなり想像とは大きく異なる部分はあるでしょう。
しかし日本人が誇りを持ち価値観を武士道と見立て
根の張った精神構造を醸成する必要があるのではないでしょうか?
私達大人の責務は子供達をしっかりとした強い責任感をもった
人間に育成する責務があります。 
武士道というと右翼と結びつける人達がありますが
武士道とはかくあるべきだという理想像を求める必要があるのです。
武士にとって弱い者を痛めつける事はいかに
軽蔑されるのか、男子が女子を苛めたり弱い者を
寄ってたかり苛めぬく事は唾棄すべき耳の赤くなる
行為であると教育する必要があるのです。
又苛めた者は苛められた者の苦痛は直ぐに忘れますが
苛められた者は一生苛めた者を忘れ去る事はありません。
もし全ての日本人が共有の価値観を保持すれば
仮に苛めがおきて大人が注意をおこなえば心から反省するでしょう。
しかし、現在は神妙に反省した振りをするだけで
ほとぼりが冷めれば再度、更に陰湿となった苛めがおこなわれるのです。
なんせ怒られ注意された意味が分かっていないのですから
  
4:日本の成人式は20歳となっておりますが
至急15歳に変更すべきです。15歳になった時、
彼らにしっかりとした成人としての認識や
誇りを与える必要があるのです。20歳で成人式とは
真に不可思議な現象です。成人式に和服を着ておしゃれをする国民の
節操のない姿は醜いといってもよいでしょう。
もっと精神的な意味合いを彼らに説くという
重要な役割が大人にはあるのです。20歳では遅すぎます。

5:繰り返しになりますが、私達大人は子供達同士で遊ばせ
自然に接する機会を与え精神的に強い子供達を育成する必要があります。
例えばボーイスカウトそのほか子供達を対象にした団体の育成が大切で
ファミコンや画像で一人で遊ぶ現在の子供達を極力外に出す
運動が必要である。

6:日本人は良くも悪くも変わり身の早さがあります。
先日高尾山に登りました時沢山のハイカーが頂上で食事を摂っておりました。
頂上は遊園地並でしたが、驚いたのは食事中塵が一切出されない事でした。
塵の持ち帰り運動が徹底していたと考えるのです。
このように車の駐車禁止も同様でほとんど混乱なく実行されております。

私達大人は子供達を大切に厳しく又愛情を持って教育し
見守っていく必要を痛感するのです。先生方も多忙で大変であると思います。
しかし、どの職業に就きましても同様な厳しさが存在します。
教師という素晴らしいお仕事に就かれております皆様方は
子供達が大きく育ち、死に至る迄先生の一言一言を思い出し
懐かしんでいる事実を真摯にお考え頂き
仰げば尊し我師の恩……と慕われる先生になって頂きたいと願っております。
家庭の親や大人達は子供達をもっと逞しく育てる為に
先生方に協力する必要があります。
子供達はその姿を見て敏感に行動するのです。
親達は子供達が眠る時本を読んだり、話を聞いたり子守唄を歌って
一緒に寝たりして、愛情一杯子供達に注いで頂きたいと思うのです。
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2006年08月21日

刀剣商

刀剣商と女性進出

当社では3名の女性が勤務しております。
かつて、刀剣商や古美術商等は、男性が行う灰汁の強い商売と相場がきまっておりました。

昨今多くの女性の進出が見られる様になった背景には、男女雇用均等法が施行され、弁護士、医者を初めとしてパイロット、電車の運転手やタクシーのドライバー等、職業選択に女性が違和感を感じなくなったのが主たる理由です。

そしてインターネット商売が大きく市場にくいこむ中、コンピューターを駆使して、色々な挑戦が出来るようになったのも、もう1つの大きな理由でしょう。
私どもの商売も例外ではなく語学、コンピューター技術、ネット販売が商売を左右するほど重要になりつつあるのです。

今後は千三つ屋と揶揄された業界に、多くの女性が新しい感覚で進出してくると思います。蓄積された知識、経験、体験は取り崩す事が出来ない預金のような物であり、歳を経るにしたがって、したたかさと色気も加わり商売にも熱を入るというものです。

将来店の女性社長が膝の上には喉をごろごろとならす猫を撫でながら、コンピューターに向かい、掛けた眼鏡をずらしながら上目遣いにお客様と対応する場面は、大いにあり得るのではないでしょうか(笑
なにしろ定年の無い仕事で、美術品に囲まれストレスも少なく、それなりに面白い商売ではあります。
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2006年08月14日

日本刀の将来 後編 

日本刀の将来についての一考 後編

残念ながら日本では銃刀法で、無登録の日本刀の売買は元より、保持する事も厳しく禁じられています。
現在日本には、数多くの日本刀が無登録のまま、秘密裏に保持されています。警察に発見届けを出すと、処罰されると考え、そのままの状態になっているのが現状です。日本刀は素材が鉄なので、そのままですと錆びてしまう運命ですから、何とかしなければならないでしょう。

数年前に赤羽刀(戦後没収され保管されていた刀)が、日本国内の博物館に寄贈されましたが、愕然としたのはその品物の最悪な保存状態でした。
殆どの日本刀は錆びるままに、その間誰も手入れをしなかったのです。文化庁、また文部省は一体何をしていたのでしょうか?

お祭り民族とも言われる日本人は、江戸時代に素晴らしい文化財を製作してきました。
例えば版画や根付は、町人文化が生み出した文化ですが、数多くの作品が海外に持ち去られ、今の若者に根付と聞いても理解出来ないことでしょう。
日本の若者が真剣に勉強しようと考えても、海外に行くしかありません。印籠、蒔絵も同様です。

海外での需要によって、日本刀や小道具や拵え等は日本から、より流出していくでしょう。
刀剣博物館に、皆さま行ったことがあるでしょうか。見学に来る70%以上は外国人です。
今後 日本刀が、どのような経過をたどるかは明白です。
ひょっとすると、海外で日本刀を製作するようになるかもしれません。

日本の法律では刀工は(国によって製作を認可された方々)月間2本までの制作と決められているので、数多く製作できません。
海外で製作された日本刀は、出来が良くても日本国内に持ち込むことは出来ませんが、今後海外で製作された日本刀が、海外で取引されると私は考えます。

今の日本では、日本刀を収集していると言えば、マニアックな人と思われるでしょう。
素晴らしい文化財を製作しながら、飽きっぽい、又は忘れっぽい性質ゆえか、色んなものを捨て去ってきた私達日本人ですが、
どうか日本刀を通して、日本人として誇りと、武士道精神の継承を願わざるをえません。
それによって葵美術が儲かるという事ではありませので。。。
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2006年08月06日

日本刀の将来 前編

日本刀の将来についての一考  前編

日本刀は数々の変遷を経て、現代に継承されてきました。
日本刀は戦争と平和とで、需要と供給が大きく異なってきます。
その証拠に室町時代末期に製作された日本刀が、現在でも多量に現存されております。戦国時代膨大な需要があったからです。

その後、刀狩が行われ、数多くの刀剣が一部廃棄されたと考えます。
江戸時代になると、平和な時代へと移行し、特に元禄時代は刀の需要は激減してゆきます。
幕末の風雲急を告げる時代では、日本刀の需要は盛り返しますが、明治になると一転、廃刀令が敷かれ日本刀は激減し、又製作者である刀工は廃業の憂き目に遭いました。 

明治の半ばになりますと富国強兵の時代となり、数多くの刀工が活躍しはじめ、その動きは大正へ、
更に昭和に入り戦前、戦時中は数多くの刀工が日本各地で活躍し、名の知られない刀工までが日本刀の製作を行いました。
しかし戦争に敗れた日本は、武装解除となり、一説によれば50万振りとも100万振りともいわれる日本刀が海外もちさられる事となりました。

戦後、日本刀の業者が、海外で保有されていた日本刀の輸入を初め、私もその一人ですが買い戻しを行いました。
今でも鮮明に覚えておりますが、アメリカの業者の自宅を訪れた時、ビリヤードの台に山と詰まれた日本刀がありました。
彼は全米で日本から持ち去られた日本刀を自家用機で買い付け、私達日本人に売却していたのです。

その内に米国でもヨーロッパでも愛刀家や収集家が育ち始め、各地で交換会が行われ、
より質の高い日本刀の収集がはじまりました。 
米国では故コンプトン博士は、特に著名な収集家で日本に無償で国宝を返還した事で知られております。
コンプトンコレクションがそれです。

最近は海外に多くの収集家がおり、良質な日本刀を求めて来日し、購入していくようになりました。
インターネットにより、業者を経ないで、収集家自らが販売するようになった事もあり、米国内で急激に品物の不足がでてきました。
日本刀に対する目利きが増えた事も一因でしょう。
この傾向は一層高まっていくに違いありません。 →後半へ続きます
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2006年07月31日

日本刀の魅力とは

日本刀に魅せられる理由は人さまざまです。日本刀の体配の良さ、地金の美しさ、あるいは拵えの美しさに、魅力を感じる人も多いと思います。
自分なりに、その魅力を語ってみたいと思います。

日本刀は、製作地での伝統にのっとって、備前伝、相州伝、美濃伝、大和伝、山城伝、そのほか地方の様式の刀剣がそれぞれ長期間継承されていきました。

ですから、銘の部分を隠しても、地方や製作者の名前を当てる事も出来ます。
鑑賞される人々の多くは、出来が良いか悪いかをも鑑賞し、出来の良い日本刀に、鑑賞者が同じ認識を持つ事になります。これは現代刀にもいえます。
また厳しい鑑識眼によって、刀工が血の滲む努力をしながら製作した思いも、現代に伝わってくるのです。

先に記載しましたように、平安時代以前から、日本刀を鑑賞する技術がすでに確立していったのですが、その後、武士が日本刀を持つ習慣を持ち、長い年月、侍の誇りの象徴として継承されていったのだと思います。

静かに日本刀を鑑賞してみます。これを持っていた侍はどのように苦難を乗り越えていったのかを、思いを巡らしてみてください。
すべての気持ちを消し去る一時を持ち、勇気を与えられ、現代のストレス社会で、困難や障害を、乗り越えていける力になるかも知れません。
海外の愛刀家が増えることも喜ばしいことですが、私達日本人こそが、このような類稀なる文化財を、将来に渡って尊重する必要があるのではないでしょうか。
posted by 日本刀と刀装具の葵美術 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本刀講座 from社長