2006年08月21日

刀剣商

刀剣商と女性進出

当社では3名の女性が勤務しております。
かつて、刀剣商や古美術商等は、男性が行う灰汁の強い商売と相場がきまっておりました。

昨今多くの女性の進出が見られる様になった背景には、男女雇用均等法が施行され、弁護士、医者を初めとしてパイロット、電車の運転手やタクシーのドライバー等、職業選択に女性が違和感を感じなくなったのが主たる理由です。

そしてインターネット商売が大きく市場にくいこむ中、コンピューターを駆使して、色々な挑戦が出来るようになったのも、もう1つの大きな理由でしょう。
私どもの商売も例外ではなく語学、コンピューター技術、ネット販売が商売を左右するほど重要になりつつあるのです。

今後は千三つ屋と揶揄された業界に、多くの女性が新しい感覚で進出してくると思います。蓄積された知識、経験、体験は取り崩す事が出来ない預金のような物であり、歳を経るにしたがって、したたかさと色気も加わり商売にも熱を入るというものです。

将来店の女性社長が膝の上には喉をごろごろとならす猫を撫でながら、コンピューターに向かい、掛けた眼鏡をずらしながら上目遣いにお客様と対応する場面は、大いにあり得るのではないでしょうか(笑
なにしろ定年の無い仕事で、美術品に囲まれストレスも少なく、それなりに面白い商売ではあります。
posted by 日本刀と刀装具の葵美術 at 02:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 社長の小言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月14日

日本刀の将来 後編 

日本刀の将来についての一考 後編

残念ながら日本では銃刀法で、無登録の日本刀の売買は元より、保持する事も厳しく禁じられています。
現在日本には、数多くの日本刀が無登録のまま、秘密裏に保持されています。警察に発見届けを出すと、処罰されると考え、そのままの状態になっているのが現状です。日本刀は素材が鉄なので、そのままですと錆びてしまう運命ですから、何とかしなければならないでしょう。

数年前に赤羽刀(戦後没収され保管されていた刀)が、日本国内の博物館に寄贈されましたが、愕然としたのはその品物の最悪な保存状態でした。
殆どの日本刀は錆びるままに、その間誰も手入れをしなかったのです。文化庁、また文部省は一体何をしていたのでしょうか?

お祭り民族とも言われる日本人は、江戸時代に素晴らしい文化財を製作してきました。
例えば版画や根付は、町人文化が生み出した文化ですが、数多くの作品が海外に持ち去られ、今の若者に根付と聞いても理解出来ないことでしょう。
日本の若者が真剣に勉強しようと考えても、海外に行くしかありません。印籠、蒔絵も同様です。

海外での需要によって、日本刀や小道具や拵え等は日本から、より流出していくでしょう。
刀剣博物館に、皆さま行ったことがあるでしょうか。見学に来る70%以上は外国人です。
今後 日本刀が、どのような経過をたどるかは明白です。
ひょっとすると、海外で日本刀を製作するようになるかもしれません。

日本の法律では刀工は(国によって製作を認可された方々)月間2本までの制作と決められているので、数多く製作できません。
海外で製作された日本刀は、出来が良くても日本国内に持ち込むことは出来ませんが、今後海外で製作された日本刀が、海外で取引されると私は考えます。

今の日本では、日本刀を収集していると言えば、マニアックな人と思われるでしょう。
素晴らしい文化財を製作しながら、飽きっぽい、又は忘れっぽい性質ゆえか、色んなものを捨て去ってきた私達日本人ですが、
どうか日本刀を通して、日本人として誇りと、武士道精神の継承を願わざるをえません。
それによって葵美術が儲かるという事ではありませので。。。
posted by 日本刀と刀装具の葵美術 at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本刀講座 from社長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月06日

日本刀の将来 前編

日本刀の将来についての一考  前編

日本刀は数々の変遷を経て、現代に継承されてきました。
日本刀は戦争と平和とで、需要と供給が大きく異なってきます。
その証拠に室町時代末期に製作された日本刀が、現在でも多量に現存されております。戦国時代膨大な需要があったからです。

その後、刀狩が行われ、数多くの刀剣が一部廃棄されたと考えます。
江戸時代になると、平和な時代へと移行し、特に元禄時代は刀の需要は激減してゆきます。
幕末の風雲急を告げる時代では、日本刀の需要は盛り返しますが、明治になると一転、廃刀令が敷かれ日本刀は激減し、又製作者である刀工は廃業の憂き目に遭いました。 

明治の半ばになりますと富国強兵の時代となり、数多くの刀工が活躍しはじめ、その動きは大正へ、
更に昭和に入り戦前、戦時中は数多くの刀工が日本各地で活躍し、名の知られない刀工までが日本刀の製作を行いました。
しかし戦争に敗れた日本は、武装解除となり、一説によれば50万振りとも100万振りともいわれる日本刀が海外もちさられる事となりました。

戦後、日本刀の業者が、海外で保有されていた日本刀の輸入を初め、私もその一人ですが買い戻しを行いました。
今でも鮮明に覚えておりますが、アメリカの業者の自宅を訪れた時、ビリヤードの台に山と詰まれた日本刀がありました。
彼は全米で日本から持ち去られた日本刀を自家用機で買い付け、私達日本人に売却していたのです。

その内に米国でもヨーロッパでも愛刀家や収集家が育ち始め、各地で交換会が行われ、
より質の高い日本刀の収集がはじまりました。 
米国では故コンプトン博士は、特に著名な収集家で日本に無償で国宝を返還した事で知られております。
コンプトンコレクションがそれです。

最近は海外に多くの収集家がおり、良質な日本刀を求めて来日し、購入していくようになりました。
インターネットにより、業者を経ないで、収集家自らが販売するようになった事もあり、米国内で急激に品物の不足がでてきました。
日本刀に対する目利きが増えた事も一因でしょう。
この傾向は一層高まっていくに違いありません。 →後半へ続きます
posted by 日本刀と刀装具の葵美術 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本刀講座 from社長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする