2006年07月23日

日本刀の起源について

当社では皆様方との交流を促進するため、ブログを書き続け、充実させていこうと考えております。
異論、反論、オブジェクションと色々あろうかと思いますが、肩肘はらずに気楽に読んで頂ければ幸いです。なお文章能力はございませんので、気づくまま文章の羅列であるとお思い下さい。

まず第一回は
1:日本刀はどのような経路を経て日本に定着したのか?

 長い青銅器の時代が続き、世界の4大文明がエジプトのナイル川流域、メソポタニア、インドのインダス川流域、中国の黄川流域のいずれかで、偶然かどうかは知りませんが鉄器が生産されました。この鉄器は高温の状態で急冷する事で鋼に変わる事が発見され、野火の如く世界へと広がっていきました。この鉄器の発明は当時の戦闘を一変させ農機具、漁業、船舶の発達に限りない貢献をしました。
 中国、朝鮮を経てやがて日本にも鉄器がもたらされました。当初は蕨手と言われる簡単な鉄で、製作された武器であったようです。
中には一部刃紋らしき部分があり、焼き入れ技術も完成していたと考えられます。それらの刀剣類はその殆どが未研磨であったろうと推測されます。
 
当時エジプト、ペルシャ、中国、インドでは、刀剣は武器でありましたが、献上品として王様や強力な部族の王には貢ぎ物として利用されました。刀剣というよりは拵の装飾品が貢ぎ物として好まれたのです。
拵えは金銀、ダイヤ、エメラルド、真珠、ルビー、サファイア等で豪華に飾られ、献上されたに違いありません。献上された拵えを見た王様は満面の笑みを浮かべ、奥歯の金歯が光る程口を開け満足したことでしょう。

 日本刀の発達は、日本に宝石がなかった事に大きな理由があろうと大胆に推測します。残念ながら日本には主たる宝石がありません。せいぜい勾玉、金銀、といった所です。そのような事情があって、刀剣を研磨して、その出来の良さを競い合い、それら刀剣を献上する方法が取られたに違いありません。日本には良質な砥石があり、微細に研磨する事で刀身に瑕が出ない様に刀を製作し、極力奇麗に研磨をする習慣が出来上がっていったのではないかと思います。

 以前国宝展に2回見にいった事があります。私が若き頃、私国立博物館で日本刀の展示会に行き、展示されている上古刀を間近で見た事があります。
特に丙子椒林剣はその見事な地鉄は柔らかく品格があり、細直刃出来に小足が入る素晴らしい作でした。多くの方は中国、又は朝鮮から渡来したと考えておりますが、このような地鉄を製作する為には高い研磨技術が伴わなければ出来ません。日本刀を研磨して鑑賞するという習慣があったからこそ、このような美しい地金が作り出せたのでしょう。私見ですが、この刀は日本で製作されたと推察します。

 丙子椒林という文字が刀身に彫刻されていますが、未だ正確な意味はわかっておりません。子宝に恵まれる事を祈念して製作されたという説もあります。推測の中で中国、又は朝鮮製と断定は出来ません。
日本という狭い国であったゆえに、刀剣を研磨するという類稀なる習慣が確率しました。一方、中国では刀の出来云々ではなく、多量に生産し、多人数での戦闘が行われ、刀剣を研磨するなどとは考えもつかなかったのではないでしょうか。

 研磨技術はかなり専門的となり、微細な部分まで研磨しなければなりません。数多くの刀剣を研磨し競い合う中で、刀匠も出来の良い刀を製作し、銘を茎に刻む習慣が同時に確立したのです。したがって丙子椒林剣は、最上の玉鋼で祈るように製作され、現代でも我々の胸を打つ最高傑作品として評価されているのです。
posted by 日本刀と刀装具の葵美術 at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本刀講座 from社長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック