2007年08月19日

日本刀が出来るまで

今後積極的にブログを書いていきたいと思います。
平成19年 8月 19日
あくまで私見ですので異論、反論、オブジェクションとあると思いますが肩肘張らず目くじら立てず寛大なる暖かな目で苦笑しつつ読んで頂ければ幸いです。
文章はあちらこちらへ脱線しますが宜しくご了承下さい。

まず日本刀が出来るまでにつきまして記載したいと思います。

世界の4大文明はエジプトのナイル川流域、ペルシャのチグリスユーフラテス川流域、インドのインダス川流域、中国の黄河流域と小学校時代に勉強したことがあります。 長い期間青銅器文明を経て四大文明発祥の地で偶然か故意かはわかりませんが鉄が製作されました。
鉄は青銅器と異なり強度の面で全くことなる製品でした。 更に熱した鉄を水に入れると考えられない強度をもった鋼が出来ることが発見され野火の如くそれらの知識は世界へと流出されていきました。
鉄の文化は武器に車輪に農機具に更に船舶、建築物に計り知れない強度や生産性を上げる事が可能となり都市の発展の大きく貢献する事となりました。
特に刀剣等の武具には即座に影響が顕著となり青銅器文明を駆逐する事となりました。
歴史上の中で最も画期的な出来事といえます。特に刀剣によって自ら守り又他を征服する事で自ら巨大な国を保持又は作り上げてゆく事は極めて重要な事であり切磋琢磨研究されたに違いありません。
青銅器ばかりでなく鉄器の文化は中国、朝鮮を経て日本に伝わりました。 日本の遺跡には数多くの刀剣が発見されます。 特に蕨手、古剣がその代表でありますがその後国内で改良され日本刀が日本独自に思考として文化として発展して行く事となります。 中国から伝えられた刀剣は恐らく研磨されていない刀剣であったと考えられます。
中国、朝鮮、日本におきましても刀剣は極めて珍重されたのに違いがありません。
貢物として彼らは刀剣を宝石で飾りぬき金銀、真珠、ダイヤ、ルビー、サファイア等ありとあらゆる宝石で刀剣の拵えを飾り立て王様に貢いだのに違いがありません。  貢がれた品物を見ながらその豪華な拵えに驚き感激の笑みを浮かべやがて奥歯の金歯が見える位に満面の笑顔を浮かべたに違いありません。
日本に伝えられた刀剣は当時大陸と同様に宝石を飾り立てようと考えたと思われますが国内では金銀、勾玉位しか宝石と呼ばれる様な品物は無く自然刀剣と研磨する事でおおよう王様を喜ばさなければならなかったのかも知れません。 自然多くの刀剣製作者は発注者の要望を受け出来るだけ瑕のない地金の良い品物に神経を集中し刀剣をより素晴らしく研磨する方法が研究され製作されたと考えるのです。
日本には宝石は当時考えられない程高価で見ることすらなかったと考えられます。
幸い研磨に必要な砥石は京都を中心としてふんだんにあり研磨技術が鍛えられ多くの貴族により刀そのものの出来、鑑定眼が養われていったに違いがありません。又日本は国土が狭く同一の思考が伝播し全ての貴族社会の中で日本刀の価値観が出来上がったと考えます。

次回に続く。
posted by 日本刀と刀装具の葵美術 at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本刀講座 from社長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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